2013年01月19日

18年

1月17日、阪神大震災の発生から18年を迎えました。あらためて亡くなられた方々におくやみを、被災者の皆さんにお見舞いを申し上げます。

あの日、私は入社1年目の駆け出しの記者でした。デスクの指示で、当時大阪に住んでいた友人に、つながりにくい電話を何度もかけました。友人への久しぶりの、それも安否を気遣うような連絡が、仕事絡みのものとなってしまった後ろめたさを感じたことを覚えています。

あの時、私たちの地方紙を含め、日本中の新聞やメディアが毎日、膨大な量の報道を行いました。新聞は大量の紙面を割いて特集記事を掲載し続け、被災状況や救助の前線のもようや支援策について、多くの情報を流し続けました。

その2カ月後には、地下鉄サリン事件が起こります。大変な年でした。特集紙面態勢は、半年ほども続いたでしょうか。毎日、巨大な見出しや写真が踊っていた紙面は、徐々に日常へと戻っていきました。もちろん、震災関連記事は掲載され続けましたが、 被災地が復興に向かい、落ち着きを取り戻すに連れて、 そのボリュームは日に日に減って行きます。

そして震災から1年、2年、数年。被災地の外では、すべては日常にかえりました。人々は震災のことを忘れていきます。 紙面にも「被災者支援」よりも「復興」の文字が多くなり、あるいは、記事が載ることも少なくなっていきました。

でも、例えば「孤独死」が大きな問題となった仮設住宅がすべてなくなったのは、震災から5年も経った2000年のことでした。実際には避難生活を続けている人がいるのに、被災地外の新聞紙面では、その実感をちゃんと伝えていたでしょうか。

大量の報道は、時が過ぎれば忘れられていきます。被災地から離れた場所では、あるいは仕方ないことかもしれません。それまでの新聞報道によって多くの情報を読者に提供できたのは事実でしょうが、一時的に目もくらむような量の報道をして、時期が過ぎれば、それがあったことすら忘れるような扱いになってしまう。そんな紙面の移り変わりに、駆け出しの記者だったこともあり、違和感を感じたのも事実です。

震災報道にはたくさんの問題点もありました。被災者への心ない取材やメディアスクラム。初期の混乱時の事実誤認。日々の事実確認に追われ、顧みられることが少なかった追跡報道や、記事の検証。大枠の話に集中し、被災者の小さな声をすくい上げる努力の不足・・・。私たち新聞を作る側は、それを折りにふれ見つめ直し、反省材料としてきたはずでした。

それは、「はず」にすぎなかったのか。

そう思ったのは、言うまでもなく、2011年3月11日以降からでした。阪神を上回る規模の未曾有の災害、東日本大震災。その直後から新聞が始めた膨大な量の報道は、16年前とほとんど重なるようなものでした。圧倒的な被害を伝える紙面には巨大な見出しや写真が踊り、目もくらむような量の記事が毎日、掲載されました。

そして、東日本大震災からもうすぐ2年のいま。当時の報道がうそのように、震災関連の記事の量は少なくなっています。被災地では今も困難に直面し、進まぬ復興に怒り、その声を十分に上げられない人がいます。 一方で被災地から遠い地では、日常に紛れてすでに、あの日のことを忘れそうになっています。

あの時と、そっくりそのまま同じ光景が、新聞紙面で繰り広げられているようです。私たちは、「阪神」から「東日本」への16年間に、何をなし、そしてなさなかったのでしょうか。

時とともに少なくなる記事と、薄れていく読者の関心は比例します。どちらが先かはわかりませんが、ただ、絶え間ない報道によって、その関心をつなぎとめることはできるはずです。

大きな事件や災害が起こるたび、新聞人は自問するはずです。「新聞に何ができるのか」。その答えはわかりませんが、「新聞が何をしてきたか」「何をしてこなかったか」は、しっかりと、この18年間に答えがあります。

 (明神)


posted by MOT at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | メンバー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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