2012年02月13日

みんなで「ワクワク」しましょう!(上野)

はじめまして、神戸新聞・デイリースポーツ労組の上野と申します。
1979年生まれで、神戸で育ち、震災も体験しています。第二期のメンバーでは最年少で
す。

2004年に神戸新聞社に入社。販売局の内勤部門を経て現在は、外勤部門である担当員を
しています。

販売の仕事を経験する中で、多くの人が新聞産業に関わりやりがいを感じているという
こと、何よりも読者に支えられて新聞が存在しているということを強く感じます。

「国家があなたのために何をするかではなく、あなたが国家のために何ができるかを問
いたまえ」という有名なケネディ大統領のスピーチがあります。

「国家」の部分を「産政研」に置き換えたときどのようなことができるのか。
私は、産政研は新聞産業に関わる全ての人を「ワクワク」させることができると思いま
す。

情熱と計画性を持って、様々な案件にチャレンジし、ワクワク感を演出できるように頑
張りますので、よろしくお願いします。(上野)


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2012年02月03日

誰のため、何のための新聞か−自己紹介(明神)

あらためまして、自己紹介させていただきます。産政研第2期メンバーの明神です。

生まれも育ちも高知、大学だけ信州は松本市で4年間過ごしました。一貫して、人口20〜30万人という日本のローカル都市で暮らしてきたわけで、ものの見方はどうしても地方に偏っている自覚はある、ことし本厄を迎える団塊ジュニアです。

新聞社入社後は、社会部、整理(編集)部、経済部、支局・・・と編集部門で地域を這いずりまわっていました。折しもバブル崩壊後、過疎と高齢化が不況によってさらに加速度的に進む高知県。「新聞を地域の力に」と駆けまわる毎日でしたが、実力足らず努力も足らず。地域活性化に貢献した実感はあまりなく、「このままでいいのか」「新聞は無力なのか」と自問自答する毎日が続きます。

入社直後から始めたパソコン通信やインターネットは単なる趣味でしたが、その力がメディアにとって無視できないものになっている実感が強まっていた5年前、初めて編集を離れ、メディア情報部に異動。「新聞」の存在がきしみ始めた当時、自分にとってもタイムリーな変化で、生まれて初めてコスト計算を念頭においての事業企画やウェブの仕事は、本当にやりがいがありました。ちょうど業界的にも、多くの社が電子新聞やSNS構築に興味を持っていたころで、新しい事業に乗り出す、まさに新聞を変えられるかもという期待感に満ちた仕事だったのです。

でも、それはわずか1年間ぐらいのことでした。リーマン・ショックを端緒とする世界経済の冷え込みは、日本のいち地方新聞も直撃したのです。毎年、職場の人員が減り、部の所属局も転々と変わり、事業予算は目を疑うばかりに減少しました。そしてメディア部門は特段の成果も挙げられず、縮小再整理。私はあえなく編集へとんぼ返りとなりました。

新聞社がウェブ事業に乗り出すことに賛否はあると思いますが、私が最もがっかりしたことは、「否」とする(内部的な)声の根拠のほとんどが「採算が合わない」だったことです。実際、ほとんどの社が、ウェブ事業を(収支的に)失敗と位置づけました。うまくマネタイズできた事例であっても収益は大したことがないのも事実。この新聞社経営の危機的状況に、そんな「お遊び」をやっている場合ではない、という風に思う人もいることでしょう。

私は、新聞の仕事とは、「人から人に伝えること」だと思っています。本来はとてもシンプルなこと。誰かが聞いてほしいと上げた声を、それを必要とする人に、過不足なく伝えること。伝わった声は、伝えられた人に変化を与えます。それを元にまた、人は新しい声を上げます。だからこそ人間で、だからこそ社会なのだと。いくら声を上げても、誰にも伝わらないような社会にはしてはならない。それが私たちの使命なのだと思っています。

そして声を伝えるのならば、媒体はもちろん紙でなくてもいいのです。新聞は今の形態が最も多くの人に効率的に、効果的に「声」を伝えることができたから、紙媒体を選択しているだけで、それが電波でも電子でも、ウェブでも肉声でも、何だっていいですよね。人に、必要なものごとが伝われば。伝えることができれば。

新聞産業はいま、苦しい時です。もちろん、経営が立ち行かなくなって、新聞発行ができなくなるのは最悪の事態です。どんな綺麗事を言ったって、発行できなければ、誰にも何も伝えられません。「新聞を出すために稼がなきゃいけないんだ」という言葉は、内部の人間にはほとんど強制的な言葉に響きます。

でも、こんな時だからこそ、誰のための何のための新聞か、考えよう。読者が減り、マスコミ不信が広がり、経営が厳しい今だからこそ、どうすれば人から人へ「声」を伝えられるのか考えよう。そのためにどうやって収益を上げるか考えよう。

必要なら紙を捨ててもいい。新聞発行は手段であって目的ではないのです。「新聞を出すために稼ぐ」ではなく、「人に伝えるために」なのです。

では、人々が求める、新しい新聞の形とはどんなものだろう。それが事業として安定的に成立するには、どうすればいいだろう。そう考えて、産政研で勉強したいと思いました。

というわけで、本当にお前記者かよという取捨選択のできていない長文で申し訳ありませんが、今後もこんな感じだと思います。ウェブって字数制限がないのがほんとうに素晴らしいですよね。これからも末永く、お付き合いくだされば幸いです。
(明神)



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2012年01月30日

私のプロフィール(惑)

九州に生まれ育ち、地元の地方紙で働いています。記者6年、整理部6年を経て、経理部4年目です。数字を見ると眠くなる、という経理部員としては致命的な体質と闘いながら、会社の経営安定化に知恵を絞っています。妻1人、娘2人。趣味は週1回のバスケットです。

記者としては鳴かず飛ばずで、「なぜお前は記事を書かないんだ」と叱られ続けた時代もありました。人間関係への不満も多少はあったものの、今振り返ると、単なる甘えだった気がします。当時は、会社の同僚と会うのが憂鬱で、自分の体と心がこわばる感覚に我ながら驚きました。

経理部に来てしばらくすると、「君は変わったねえ」と言われるようになりました。自分の中でも、何だか自信が増してくるのが分かりました。実務を学び、世の中の仕組みが徐々に分かる実感と、会社の数字を見て、社内で言われていることと事実が違うことを知った点などが原因かな、と思います。わが社の社員約300人のうちに編集は150人いますが、経理部員は4人しかいません。責任が大きい分、やりがいを感じています。

また、経理や総務分野には、社会人として記者が知っておくべきことが沢山あることに気づき、伝えなければいけないと思うようになりました。それから、同期会などで、社会保障負担のほか、社員の年齢構成や将来的な退職金問題、会社の業績推移や支出の改善案など、中身に気を付けながらも、共有するように努めました。

新聞業に限らず、問題の発見や改善は、現場にしかできません。過去を振り返ると、組合は会社に問題提起をして、解決を求めていましたが、今は、組合が問題とともに解決策を提起するべきだと思います。そして、会社には、それを受け入れる度量が必要だと思います。

今年で「不惑」となりますが、惑いまくりです。ですからペンネームは「不不惑」としたかったのですが、シンプルに「惑」を選びました。メーカーや金融、医療、教育、行政をはじめ、その他もろもろの現場で、歯を食いしばって頑張っている同世代の仲間たちと同じように、新聞業界の中堅として、日本を支えたいと思っています。この点に関しては、惑わず、突っ走ります。(惑)


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2012年01月28日

はじめまして(大日方=おびなた)

はじめまして、新潟日報労組の大日方です。「おびなた」と読みます。

よく「大日向」と書き間違えられますが、正しくは「大日方」です。

1968(昭和43)年、会津生まれの信州育ちです。

1993年3月にスクールカラーがオレンジ色の首都圏の某私立大学を卒業し、同年4月に新潟の地方紙に入りました。これまで糸魚川支局や本社の報道部、整理部、上越支社報道部などを経験しました。

信州の実家は北アルプスを一望できる標高700メートルの山中にあり、新聞が昼ごろ郵送で届く過疎地で育ちました。周りにはうちの実家含め3軒しか民家がありません。いまでは70歳を過ぎたオフクロが集落最年少です。

長野市で自炊下宿をしていた高校時代だったか、村の有志が東京ドームを借り切って24時間のマラソン野球大会を企画しまして、地元紙・信濃毎日新聞に大きく取り上げられました。普段、新聞に載るようなことがない村ですから、みんなが元気づけられました。小さな村で一生懸命努力している人たちに光を当てたいなぁ。そんな動機で新聞社の扉を叩きました。

そして、20年近く新聞づくりをしてきましたら様々な課題が見えてきました。産政研の活動を通して新聞のあすにつながるヒントを探って参ります。

ちなみに趣味は山登り、農作業、寄席・歌舞伎・映画観賞。特技はサッカー4級審判員とそば打ちです。カラオケに行くと河島英五の「時代おくれ」、尾形大作の「吉田松陰」を歌います。杉良太郎の「明日の詩」も好きです。栃木市出身の妻と小3、小1の男児と4人暮らしです。


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2012年01月27日

はじめまして(てつ)

はじめまして
「てつ」こと野沢哲也と申します
所属は朝日新聞労組。長野の信濃毎日新聞で約9年勤めた後、朝日に移ってちょうど10年になります

新聞記者になったのは1993年。記事はワープロ、写真は手焼きという時代でした
朝日新聞に初めて「インターネット」という言葉が登場したのも1993年。まさかこの“同期”が自分の仕事を脅かすほどの存在に化けるとは…

「新聞」がないと困る若者は今ほとんどいません。でも、その若者の多くは「情報」がなければ1時間だって耐えられないはずです
「情報屋」としては無限のニーズを感じるのに、「新聞屋」としては衰退の一途をたどっている
このジレンマから抜け出す手がかりがほしくて、産政研の門をたたきました
もちろんまだ答えは見つかりませんが、危機感を共有するメンバーと真剣な議論を重ねていけば、何かが見えてきそうな予感はしています

ブログをご覧の外部の方からも、ぜひ率直なご意見を寄せていただき、私たちの議論に刺激を与えてください
よろしくお願いします

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2012年01月25日

あらためてのごあいさつです(MOT)

当ブログをご覧下さっている皆さまへ

産政研第2期の発足から早くも4カ月、遅まきながら
あらためてごあいさつさせていただきます。
MOTこと櫛引と申します。所属単組は青森・
東奥日報労組です。職場は、ほとんどを編集畑で
過ごし、現在はネット関連部署に在籍しています。

第1期から居残った上に最年長−という事情で
座長を仰せつかっております。
(第1期の活動では「総論」「ジャーナリズム」
「NIE」「読者ニーズ」などをテーマに研究活動を
行っておりました)

もともと、大学で地球科学をかじり、社会人学生として
社会科学にも首を突っ込んだ経験から、そして
何よりも東北在住という立場から、第2期は
「震災とメディア」を中心に研究を進めています。

人口減少やさまざまな格差の拡大、国の財政危機など、
日本が歴史的な曲がり角に差し掛かっていたところへ、
今回の東日本大震災が発生しました。しかも、
日本一帯の地殻が不安定になり、連鎖的に地震災害が
起きる危険性も指摘されています。

こんな時、新聞は誰のため、何をすればいいのか、
何をしてはいけないのか。さまざまな角度から考え続けて
おります。

研究の成果は随時、当ブログその他でエッセンスを
お伝えしていく予定です。そして夏までには中間報告書を
作成する予定です。

𠮟咤激励、ご批判、情報提供などを賜れば幸いです。

MOT/櫛引素夫(東奥日報労組)


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2008年09月07日

遅れまして「あお」です。よろしく

いやいや。自己紹介が遅れてしまいました。
今日の例会で私だけがまだプロフィールを書いていないことに気づき・・・ちょっと焦って書き込みます。
 

「あお」こと青崎と申します。所属は共同労組です。よろしくお願いします。
 
 インターネットを中心とするネット社会では情報が氾濫しすぎて、多くの情報の中から本当に重要なこと、必要なことを得ることができなくなってきています。我々が生活していく上で、社会を豊かなものにしていく上で、必要な情報をどのように見極めるのかという指針が見えなくなってきていることも、混乱を増幅しているものと考えます。
 情報を質の面から考えるとデータ、情報、知識、知恵に分けることができると考えています。新聞をはじめとする報道機関が提供するニュースは、一定の基準を満たした上で発信されます。それは受け手によって、データになったり、情報になったり、知識になったり、知恵になったりします。ネット社会において、これまで以上に、我々は知識や知恵といった高品質なニュースを必要としていると考えます。そして、報道機関は、それを永続的に提供できる組織力を維持し高めていくことが重要になっていると考えます。その結果が民主主義を維持し、豊かな社会を持続させることにつながると考えるからです。
 世の中は、情報化社会から知識社会へと変容し始めています。そんな思いをもって「知識」をキーワードに報道機関の活動について考えていきたいと思います。よろしくお願いします。
posted by あお at 02:09| Comment(0) | TrackBack(0) | メンバープロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月23日

仙台の中島です

仙台の地方紙「河北新報」に勤めるなかじぃこと中島と申します。
出身は本州の果て青森で、仙台に来て16年になります。
これまで編集、事業、メディアと職種を渡り歩き、
今では地域SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の
「ふらっと」の編集室に籍を置いています。
仙台や宮城に関心のある方々のためのSNSですが、
よろしければのぞいてみてください(要登録:無料)。
その中でわたしもblogを書いております。
「つがる衆が見る仙台」

趣味は体を動かすこと。
見るのも好きなので、現在開催中の北京五輪は釘付け。
日本人選手中心の編成にはちと疑問ですが。

小さいころから新聞が好きで新聞社に入りました。
最近は若い人だけでなく、中高年の方々にもその魅力が伝わっていません。
悲しいことですが、きっとそれは
わたしたち新聞社に働く者の努力が足りないのだと思っています。
そんな新聞をどうすればよいのか。
そんなことをこのblogで語れていければなあと思っています。
よろしくお願いします。
posted by なかじぃ at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | メンバープロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月19日

はじめまして、「かず」です

はじめまして。
「かず」こと河合一成と申します。

1年目は「法律」と「モバイル」を担当しました。法律チームでは、情報通信法構想をメーンにやりました。
産業政策研究会のメンバーでは唯一の関西人。メンバーには「関西人の割に、話に落ちがない」と指摘されたこともありますが、突っ込み役かボケ役の相方がいてくれないと関西ノリを出せないもんですね。つまり、ピン芸人にはなれないキャラでございます。

所属単組は神戸新聞・デイリースポーツ労組。入社17年目、職場は神戸新聞の編集内外勤を経てメディア局です。

神戸新聞社はご存じのように、阪神・淡路大震災で被災し、本社ビル全壊という事態に陥りました(京都新聞さんのおかげで新聞発行は継続できましたが)。
当時、マスコミは取材ヘリの音がうるさくて救助に支障が出たとか、いろいろと非難されることがありましたが、一方で避難所に届けられる新聞はむさぼるように読まれ、感謝されることもありました。
「新聞が頼りにされている」と感じることができたんですね。そして「情報はライフラインの一つである。新聞はその一翼を担わなければならない」という強い思いが、全社的に生まれました。

その後10年余り。
新聞は、必要な情報を届けるライフラインであり続けているのか。
自信が揺らぐこの頃ですが、新聞が、というよりも新聞社の存在価値はそこしかないと思います。
メディアの環境が激変するなかで、そのためにどうすべきなのかを考えていきたいと思います。



posted by かず at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | メンバープロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月18日

下野新聞社の増田です。

下野新聞社入社12年目。
入社以来、販売局販売部所属で、新聞販売店の営業をしています。

産業政策研究会の1年目は広告、法律(販売関係)を担当しました。

地方紙としては、新聞社のブランドを活かした地域密着した取り組みをしていけば活路がみいだせるのではと考えています。
そして、新聞社が地域の情報が集まるハブとなり、正確な情報を県民に提供していけば、生き残れると思います。




posted by ますだ at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | メンバープロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする